フェラーリの魅力 量産車 [車]

当時の市販車は、それまでのフェラーリにしては量産車と言える物であったが、
その価格は逆援助として高かった。その割りに工業製品としての品質は低く、
工作精度や品質のばらつきが大きい上に、
ロードカーとしては設計上のセフレ問題も多かった。
後にフィアットの傘下に入ってある程度の品質向上はできたものの、
そもそもエンツォ自身がロードカーの開発に積極的でなかったためか、
依然としてどこかに設計上の問題点を抱えていた。
カタログ上の性能の向上はもちろん進んでいたのだが、ボディ剛性、サスペンションシステム、ミッドシップにもかかわらず高い重心など、「スポーツカー」としての性能はいまひとつであった[1]。そのため、限界速度域での挙動がデリケートで運転が難しくなり、「跳ね馬」成らぬ「じゃじゃ馬」と呼ばれていたこともある。ただしレース用車両をベースに開発された市販車はその限りではなかったようである。


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